都内進学塾を20年経営してきて起こった様々な人間模様
                 
                 クロピーの「言ってる意味わかります?!」
クロピーこと、私黒沢正樹が日々思う色々なことをここでは好き勝手に語ってみよう!というコーナーです。詩人モードに突入すると、次から次へと言葉が溢れてくるのです。その言葉を忘れないように書き留めておきたい!というクロピーの想いを聞いてやって下さい!

  


  
★Vol.19 「亡き父を想う〜今だからこそ、素直に・・・」

突然の電話〜父が倒れた!〜
  私の父親が亡くなってもう十数年になります。あれは、まだ私が塾を始めて間もない頃でした。
突然母親からの電話で、「お父さんが倒れて救急車で運ばれた・・・・。途中で一度心臓が止まって・・・」半分泣きながらでした。何が起こったのか、すべては理解できないままタクシーで病院に駆けつけたことを覚えています。

 父親は病室で酸素マスクをして眠っていました。母は僕の顔を見るなり泣き崩れ・・・。心拍数を表すグラフが無機的に波を打っていました。テレビドラマでは、何回か見た事がある光景でしたが、まさか自分の身内がこういう状態になるとは、ともかく呆然を立ちすくむことしかできなかったと思います。

脳死と死
 そして、次の瞬間、担当の医者から「脳死です。」と告げられたのです。
「心臓は機械によって動いていますが、現代の医学では意識が戻ることはありえません。」
「この機械を止めれば自動的的に亡くなる事に・・・・・?」
「このままでは、莫大な医療費がかかることになります・・・・」
「どうされますか?」
「どうされますかとは、どういう事ですか?まさか機械を止めるってことですか?!」と私が食って掛かると、医者は
「そういう事も、残された家族のことを考えると・・・・」
母親は、ただ泣くだけで考える力を失っていたと思います。それから、家族みんなで話い合いをして、いくら請求されてもいいから、とにかく一日でも長く生きてほしいという結論を出しました。

倒れて10日目、父親は帰らぬ人となりました。(享年53歳)

最期まで向き合えなかった父と私
 私は、最近この歳(?)になってやっと父親のことを素直に思うことができるようになりました。振り返れば、一度もまともに話をしたこともなく、もちろん親子で、男同士で酒を飲みに行ったこともないのです・・・・。

どちらかというと厳格な父親でした。私にとっては、怒られた思い出しか残っていません・・・。小学校の時に兄弟げんかが理由で、父親に殴られて、翌日学校に行けないで寝ていると同級生が風邪だと思ってお見舞いに来てくれたことがありました。恥ずかしくて、顔を見せられませんでしたが・・・。

「学校」対「学習塾」
 そして、私は大学4年のときに1人で学習塾を始めることになりました。
そのとき、私の父親は「公立小学校である第二大島小学校」の教頭でした。教師生活30年・・・学校に行かなかった日はないという馬鹿がつくような教師です。そして、学校ではもちろん、学習塾には行くな!と生徒に言ってるようでした。

「学校」対「学習塾」

大人になっても、私は父親と敵対することとなりました・・・・。
若さも手伝って「学校は荒廃しきっていて、教師しかできない教師しかいないんだ!」こんな感じの22歳でした。

「自慢の息子?!」・・・父の本音とあふれる涙
 そして、父親の納骨の日、同僚の先生から出た言葉です。
「黒沢先生は、あなたが自慢の息子だったんだよ・・・」
「おれの息子はすごいんだ、自分で塾を開いて経営しているんだって良く言ってたよ」
そして、学校の父親の机には私の小さい頃の写真が飾ってあったそうです。

私はお通夜、葬式では涙をみせずに喪主を務めましたが、さすがにこの瞬間あふれる涙を止めることが出来ませんでした。どうして、こんなに涙が止まらないのか・・・?

新しい父親とのささやかな夢
 
そしてそんな私も去年結婚をして、新しい父と母を持つことになりました。私は、「親孝行」という言葉の本当の意味を知らずに生きてきたように思います。残された人生で、家族のありがたさを実感できるような生き方をしたいと痛感しています。

「父親と男同士の酒を飲む・・・」

当たり前のことですが私にとってはずっと心残りのことなのです。そしてこのささやかな夢が、実現出来るかもしれないということに心から感謝する今日この頃です。

 

 

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